
きっかけの出来事
このとき、結婚したいとはじめて思えるほど好きになった彼がいて、その彼の些細な言葉に傷つき、社会人3年目になっても仕事でのミスが無くならず出社すると数日間かけて作った資料が破かれて机に置いてあることもあり、パソコンのデータ操作も厳しく管理されていました。(大事なデータを間違って触って消したので警戒されてた)
おまけに家族からも無口でオシャレ度0で陰気な姉として避けられていました。自分自身に絶望して息をするのもつらくなっていました。
ついには、会社に行かずにただの微熱で会社をズル休みすることが度々あり、その日も会社への半日公休の申告のため病院へ行ったのです
ただの風邪でしたが、何度も風邪を引きつづけるので大学病院の総合内科を受診しました。診察室に気だるく入ると、
40代の女医さんがニコリともせず「どうしました?」と聞くので、「風邪です」とこたえました。咳もなく微熱程度なのに!
は〜!ごめんなさい( ≧Д≦)
税金つかった保険診察で、一生懸命に働くひともいる中、今では申し訳ことをしたと反省してます。
診察室の女医さん「軽い風邪かもね、会社務めなの?」と聞かれました。
何も考えられず、わたしは「はい。」
女医「どんな会社なの?」
わたし「〇〇会社です。」
女医「あら!大きな会社ね、仕事は大変?」
わたし「は〜まあ(٥↼_↼)」
とボソボソとこたえると
「ストレスかもとね〜」
とサラッと言われました。
なんとなくわかってますよ(˘・_・˘)
女医「息抜きしたら?」
休んでも息抜きできないから困ってるんだけど・・・とモヤモヤして無言でいると
女医「あなたの会社、そういえば株価上がってるじゃない^^?」
突然、会社の雰囲気や業績の話になった!
たしかに、うちの会社は毎年新聞でも入社したいランキング、女性が働きやすい会社トップによく載るのです
広報部は、それはそれは力を入れて毎年がんばってます
今だからわかりますが、企業イメージがかなり売り上げ(業績)に関係するから力を入れるのです(・・;)ゞ
そんな「優良企業」でも、つらいことはたくさんあるんですよ・・・
去っていった同期はもう何人めか。会社つらい!と言いながら寿退社したり転職したり
自ら命を経つ人だっているんだけどな・・・
頭の中では、お客に罵声を浴びせられながら必死に働く全国の営業の姿や、奥さん子供の前で首をつるサラリーマンの姿、親の介護と生活費の板挟みでヤツレた独身女性が苦労する姿が浮かびました
なんて返そうかと考えてました
女医「良い会社じゃない。業績もいいわよね?今後も続くのかしら?」
女医さんはいつの間にか笑顔でわたしに話しかけてくれていました
会社の評判や社内情報は耳にしてましたが、決済報告前に言えない内容でしょ!と困りつつも
よく会社をサボるようなわたしの意見を聞いてくれるな〜
あれ?
いま普通の人のように接してくれてる?
何だかものすごく久しぶりの感覚でした
問診がおわり、気休め程度の咳止め漢方薬をだしてもらってから診察室を出ました。
診察室の扉を開けて長いソファに座り、ぼんやりしていると
気持ちが楽になった感覚に気がつきました。
業績については言ってませんよ!
わたしを嫌な顔をせず、人並みの能力のある人のように接してくれてた・・・
わたしも話をしていておびえたいつもの話し方じゃなく、普通の人のように話せた
「あの女医さんの方が会社を休んだわたしよりずっと忙しいはず。なのに、どうしてあんなに元気なんだろう?」とも思いました
ささいな事でしたが、普通の人としてあつかわれた嬉しさと、何だか人の親切の優しさにふれた気がして胸が熱くなり、涙が目に浮かんできました
病院を出て会社に連絡をすると、半日公休でしたが1日休みをもらえました(必要とされてなかった+確かに良い会社かも 笑)
自分でかけた呪縛に気づく
青空の下、薬局へ歩きながらわたしは元気なのか病気なのか?と考えました
病院へ入る前は、とぼとぼと下を向き歩きながら頭の中では過去のつらい出来事が次々と浮かんできて、「自分は生まれながらの発達障害で社会になじめないのではないか?」「能力が平均以下の病人」だと思ってました
ところが病院から出る頃には、空を見あげながら
「もしかしたら、いまのわたしは社会人として普通に働ける人間かも。今は少し体調が崩れているだけかもしれない」という考えが浮かんできました
数時間前とは違う自分になっていたのです
ただ、そんなことがあっても、そんなに人間のスキルはすぐには伸びません。
プライベートも会社の人たちからの信頼も相変わらずの状態が続きました
けれども、あの日の出来事でわたしにとって大事な発見がありました。それは、
「自分の価値を決めるのは他人じゃなく自分」
だってこと
それまでのわたしは、人からの低い評価をされると「わたしは人並み以下の人間なんだ」という自分で自己評価を下げるレッテルを貼っていました。
病院に行くほどに自分は病人だと思い、
仕事でミスをすれば自分は能力の低い人間だと思い、
彼にフラれれば自分は魅力のない女だと思ってました
この日、女医さんが普通に接してくれたおかげでそういった思考のクセに気づくことができました
少しづつですが、
「わたしは気狂いでも病人でもなく、普通の人だ」と思えるようになりました
たとえば上司から「あなたは〇〇出来ないでしょ?」とか、同僚の男性に女性としてあつかわれなかったりとか、家族からデブあつかいされたりとか、好きな異性から「キミに魅力を感じない=魅力がない」と言われても(そこまで直球で言われなくても雰囲気で感じるときってありませんか(>0<;))
そんなときに
その人の評価で事実とは限らない!
と思えるようになりました。
もう自分を決めつけないぞ!決めるのは自分。信じて前に進めるのを決めるのもわたし!
だから心のなかでもデブとか、ブスだともう言わないとも決心しました
すると、今までは落ち込むだけだったのですが、「どうやったら今よりも成長できるか」と考えられるようになってきました
まるで醜悪なブタの呪いが解けて、歩いて学ぶことのできる人間になったようでした
自己愛があれば前に進める
わたしの呪いを解いてくれたのはなにか?
それは自己愛です。
誰かのアドバイスをもらった訳でもなく、自己啓発本とかを必死で読んでいたわけでもありません。
むしろ、当時他の人からは散々「考え過ぎだよ」と言われていました。そんな声も聞こえませんでした
「わたしにだってできるんだから!」とまるで反抗期のこどものようでした(笑)でも、こどもの反抗期だって、親の愛情を受けないと消えてしまいます。
わたしの場合、ものすごく幸せな暮らしではありませんでしたが、小さい頃から祖母がわたしに愛情をそそいでくれていました。
「アユミには楽しい人生を送ってもらいたい」と会うたびに笑顔で応援してくれていたので、そのせいかもしれません。
周りからの「出来ない」という評価にたいして、自分の中で疑問を持つようになり、発達障害の不安を取り除くために精神科にも行き、専門機関にも行こうとしました。
ただ予約しようとしても発達障害認定は子どもの対象がほとんどでした。大人は受け入れがほぼなく、会社務めでは難しそうだったので諦めて自分で学ぶことにました。
すると、発達障害は病気かどうかは陽性陰性のようなキッパリした判定ではないことがわかりました。
落ち着いてまわりをみれば、わたしと同じような仕事のミスをする人はたくさんいました。会話が通じないとか、よく間違えるひとでも立派な役職について活躍しているひともたくさんいます。
ありのままの自分を認める
「愛」とはありのままを受けとめ、愛するということです。
自己愛をもてば、失敗した時に自分を出来ないやつだと諦めずに「どこが改善できるのか?」と思えるようになります
そうなるには、まず出来ない自分を受け入れる必要がありますが
この考え方は、いまのわたしの支えのひとつです。
人付き合いをしているとどうしても傷つくことは今でもあります。
たとえば、仲良くなりたい人なのにこちらの配慮が足らずに不機嫌にさせてしまったり、無駄に相手のことを考えすぎて、あ〜なんかわたし嫌われてる?とか不安になったり。
そんな時でも、前とは違う点は立ち止まらず前に進めるようになりました
数年後
実際に数年後、当時できなかった多くのことができるようになりました。独学でプログラミングを覚えて仕事のミスを予防し効率もあげ、ただの一般職でしたが100人の部員の中でもパソコンが得意な人として認知され部長から直依頼が来るほどになり評価も上がり企画部署へ異動しデータベースを作る担当にまで変化しました。
見た目や会話力も別人レベルにまであがり、年収1000万超えのハイスペ男性から3名にもプロポーズされ無事結婚、犬と子供と立派な家でおやおや幸せすぎるぞ!?と思うくらしになりました
過去は消せませんしやり直せません
でも
前に進む行動をすれば未来の選択肢はふやせます。
長くなりましたがここまで読んでくれてありがとうございました。
もしわたしの話で元気がでる人がいれば幸いです^^
それではまた
あゆみ
当時のわたしは、幸せとはほど遠い暮らしでした。働く気力もなく鬱状態でした。働く自由や愛する自由の選択をみずから狭めてしまってました