田舎のおばあちゃんはわたしが中学生の頃にアルツハイマー(認知症のひとつ)になりました。
共働きの両親だったし家にあんまり帰らないから、よく夏休みや週末におばあちゃんの家に住んでたんです。
おばあちゃんの家はおじいちゃんが植林業の実家から飛び出してからはじめた自営業で、戦後の在日朝鮮人の人たちにも商売しながらほそぼそと生計をたてて4人の子供を育てたおじいちゃん手作り木造の家。
家をはなれた場所から見ると屋根が傾いてるし、周辺の家も水洗トイレじゃない田舎。
今でもぼっとん便所。家の中はすきま風が通ってて冬はふとん4枚かけてもなかなか暖まらず、口から白い息がでる。
天上の木目にはネズミのおしっこのシミがたくさんあって、夜になるとトタタタとネズミの足音がする。
幼かったわたしは寝てるときにネズミに耳をかじられるのでは?と寝れずにおばあちゃんに怖いとよく言った
そしたら「大丈夫、来たらおばあちゃんがやっつけてあげる」
と言われて安心したのか疲れたのか、とにかくおばあちゃんの優しくて温かい布団に入って寝てた。
朝になると、台所から前夜に水に浸してた小さい小魚のイリコ出しの香りがしてくる。
近所の豆腐やの豆腐、家の売り物から余ったお米を使って味噌汁ご飯を手早く作ってくれる。米屋には精米機もあって、玄米から精米するときに大量に出るヌカがあった。そのヌカを使ったぬか漬けキュウリもよく作ってた。
家の裏から細い道路を挟んだ向こう側に、周辺の民家が畑を共有してた。
おばあちゃんの畑は大人ふたり分くらい横になったくらいの2㎡ほどの小さな畑。最近のおしゃれな言葉でいえばガーデニングか。
夏になると手のひらサイズの鮮やかな赤いトマトと、トゲトゲが手に刺さるくらい水水しい緑色なキュウリがなる。
おばあちゃんは、夏の暑い日差しの外へサンダルをつっかけて野菜をとりにでていく。ちょうど良く育ったものを選び採って、トマトはそのまま切って、キュウリはぬか漬けにする。
わたしはおばあちゃんの側から離れず、いつも後ろ姿を追って見てた。おばあちゃんの手作業をながめるのが楽しかった。ただ一緒にいることが嬉しかった。
食べ終わった食器は朝の米のとぎ汁が入ったボールの中に入れて、午後の空いた時間にいっきに洗う。米のとぎ汁は汚れを取りやすくするらしい。
お客さんが来ないときは家の中のホコリを木で出来たホウキを使って玄関まで掃く。
暇になったら推理小説とか難しそうな本を読む。たまに趣味で近所に習ってる習字もして、夏は風が気持ち良く入ってカーテンがゆれる北側の居間のソファの部屋、冬は南の片面全面が窓になり日当たりが良いこたつがある部屋で昼寝もする。
おばあちゃんが寝てる間は暇すきて、たまに廊下を床拭きしてた。おじいちゃんが植林業してたツテで家を建てるときに手に入れた材木は小ぶりだけど立派な種類の木だったらしく、床を水拭きすると反射して顔がみえるほどツヤがでて気持ち良かった。
家の周りのドブ掃除もなぜか楽しかった。生命力の強いみどりの苔やドロドロした物があっと言う間にドブにはすぐにたまる。エの長いブラシでいっきに流し、ジャっと気持ち良い音がするのが面白ろかった。おもちゃのような感覚。
お米の注文が入ると、黒いどっしりした電話がジリジリ!と響きわたり、おじいちゃんが注文された米を自転車に乗って届けに行く。そういえばど田舎なのに車がなかった。
おじいちゃんはいつも店の前で精米機を回しながら椅子に座ってた。
洗濯は2、3日に1回。風呂場で小学生のわたしが入るほどの大きなタライに洗濯物を入れて、冷たい足で踏んだり板でこすったりした、最後は洗濯機に入れて、干す。ワンピースをめくって足で軽快に服をふむ姿が面白くて、わたしも時々やらせてもらった。
風呂の湯は日中の太陽の熱で電気をつくりリ温める湯(?)とにかくガスじゃないから限りがある。その湯であっついお風呂に2、3日に1回入った。
あと、週1くらいで青いトラックが家の前にとまって、作業員の人が「佐藤さ〜ん、水を流してくださ〜い」と言う。
おばあちゃんはバケツに水を入れ、ぼっとん便所の水を流す。いつも2杯。それも楽しそうだったから手作った。
移動は数十分自転車も当たり前、駅までのバスは1日2、3回のみ。
かなりアナログの生活だ。
今は徒歩5分で電車に乗れるし、家事は食洗機に入れて、洗濯機も全自動で入れてボタン押すだけ。
共働き時代のわたしは彼と家事を分担した。独身のころは食洗機がなかったので食器洗いは手洗いだと15分だったけど5分に短くなった。節約時間を計算すると1日3回で30分の節約。
365日なら約182時間の節約。
共働きだったのでその節約時間は仕事にあてられたが、今は本が何十冊も読めてしまう。
とにかくいろんな事が出来る。
あと水洗トイレってやっぱり便利で快適だ。当時は全く不便じゃなかったんだけど。
そんなアナログで手間のいることだらけの生活でも、わたしはものすごく幸せな思い出ばかり。
外食もせず、おしゃれでもなかった、いちいち手間がかかる生活だったのに、なんであんなに安心できて幸せだったのかと言えば、
おばあちゃんの存在が大きい。
いつもわたしに笑顔を向けてくれてた。
会いに行ったときは抱きしめて迎えてくれて、別れる時は見えなくなるまで手を振ってくれた。
不安な時はわたしの手をおばあちゃんのシワシワでシミだらけだけど温かい両手で包んでくれ、それから優しくなでながら「そうかい、そうかい」とゆっくり話を聞いてくれた。
お年玉以外で豪華なプレゼントをくれたことはない。お腹が空いたときにご飯をくれたり、教えてほしいことを教えてくれて、やりたいことをやらせてくれた。
そういえば、3歳くらいのときにお母さんに会いたいと夜中に泣いて、夜の道を背中におんぶされて散歩してくれたことも記憶にある。
わたしは「家に帰っちゃだめ!お母さんのところへ連れてって」と泣き続けておばあちゃんの後ろ髪を引っ張った。
時々あの頃の思い出やおばあちゃんが夢に出てくる。目が覚めると「今の自分の暮らしが現実か?」と思う時がある。今朝も寝室から白い大理石の廊下を歩いて「茶色くてかてかしたぴったり閉まる扉」(おばあちゃんの家の扉はどこもガタついて動かすのに苦労した)を開けながらこの生活が夢のようだ、わたしに不釣り合いではないか?と。
あの頃の幸せな暮らしのような家庭を作りたいと昔から夢みていた。
なのに大人になってから仕事の忙しさやストレスで忘れてた事が何度もある。
そういった時に、幸せな暮らしってお金だけじゃないと当時を思い出すと気持ちがすっと落ち着く。
働いてたとき、まったく上がらない給与明細をみると、あ〜、なんでこんなに少ないんだ?もっともっと好きなこと、安心出来る生活のためにお金がほしいとなる時もあった。
でも、おばあちゃんとの思い出を思い出すと、がむしゃらに働いかなくても、家と生活出来るお金とあたたかい家族がいれば贅沢しなくてもいいと心が落ち着いた。
今、必死こいて時給上げようとしてることって、本当にわたしの人生に大事なこと?
今のわたしは結婚して2歳児の母。
共働きから専業主婦になった。
彼が仕事から帰ってきたら子供と一緒にハグしてむかえるのは楽しみの1つ。
おばあちゃんのような優しい笑顔でむかえて、彼には昔のわたしのようにあたたかい気持ちでいてもらいたい。
子供にはそばにいるだけで安心を与える人でありたい。
彼と子供が笑ってくれると、本当に嬉しい。
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